性理大全書卷之二十二

律呂新書一 律呂本原

候気第十

気を観測する技法は、三重の部屋を作り、扉は閉じ、壁の隙間をしっかりと塗り固め、室内に赤い絹布を敷く。木で机を作り、律管ごとに机を一脚とし、内側を低く、外側を高く、方位に従って並べる。律管をその上に置き、葦を焼いた灰を管の一端に詰め、絹布で管を覆う。暦を参照してこれを観察する。気が到来すると灰が吹かれて布が動く。少し動くのは気が調和している状態で、大きく動くのは君主が弱く臣下が強く専政がおこなわれていることの現れである。動かないのは君主が峻厳剛猛であることの現れである(*)

気の昇降の数値は以下のとおり。

  • 冬至 黄鐘九寸 (昇五分一釐三毫(*)
  • 大寒 大呂八寸三分七釐六毫 (昇升三分七釐六毫)
  • 雨水 太簇八寸 (昇四分五釐一毫六糸)
  • 春分 夾鐘七寸四分三釐七毫三糸 (昇三分三釐七毫三糸)
  • 穀雨 姑洗七寸一分 (昇四分五毫四糸三忽)
  • 小満 仲呂六寸五分八釐三毫四糸六忽 (昇三分三毫四糸六忽)
  • 夏至 蕤賓六寸二分八釐 (昇二分八釐)
  • 大暑 林鐘六寸 (昇三分三釐四毫)
  • 処暑 夷則五寸五分五釐五毫 (昇二分五釐五毫)
  • 秋分 南呂五寸三分 (昇三分四毫一糸)
  • 霜降 無射四寸八分八釐四毫八糸 (昇二分二釐四毫八糸)
  • 小雪 応鐘四寸六分六釐

按ずるに、陽気は〈復〉卦で生まれ、陰気は〈姤〉卦で生まれ(*)、円環に末端がないように循環する。いっぽう律呂の数の三分損益の計算は、終了すると初めに戻らないが、なぜか。それはこうだ。陽気の上昇は〔十二支の〕〈子〉に始まり、〈午〉に至ると陰気が発生するが、陽気の上昇はまだ終らない。〈亥〉に至って上限となり、下降する。陰気の上昇は〈午〉に始まり、〈子〉に至ると陽気が発生するが、陰気の上昇はまだ終らない。〈巳〉に至って上限となり、下降する。音律は「陰」に関しては記述しないので、終了すると初めに戻らないのである。このため陽気の上昇の数値は、〈子〉から〈巳〉までは総じて大きいが、律(黄鐘・太簇・姑洗)で最も大きく、呂(大呂・夾鐘・仲呂)ではやや小さい(*)。〈午〉から〈亥〉までは総じて小さいが、律(蕤賓・夷則・無射)では最も小さく、呂(林鐘・南呂)ではやや大きい(*)。上昇の数値は均等ではないが、その詳細な数値にはそれぞれ理論の裏付けがあるのだ。気が灰を飛ばし、音響が〈律〉に合う理由である。
こういう疑問があろう。「易」は〈陰〉と〈陽〉を述べるのに「音律」が〈陰〉を記述しないのはなぜか、と。それはこういうわけである。「易」は天下のあらゆる変動を述べ尽くし、善も悪もすべてを備えているが、「音律」は〈中〉と〈和〉の作用を極限にまで推し進めて(*)完全な善に至る(*)ものだからである。音響について述べるなら、大は雷鳴から小は蚊のような小虫まで、音響でないものはない。「易」には備わらない事象はないが、「音律」はいわゆる〈黄鐘〉ただひとつを論じているのである。〈十二律〉や〈六十律〉というが、実は〈黄鐘一律〉にほかならない。つまりは〈理〉である。音響にあっては「中声」、気にあっては「中気」、人にあっては喜怒哀楽の発現しない状態と発現した状態のちょうど節度にかなった「中節」である(*)。これは聖人が天と人とをひとつにして造化育成を賛助する(*)ための道である。

原文

注釈(訳者)

気を観測する技法は……現れである
以上の記述は、『後漢書』(律暦志)と『隋書』(律暦志)にもとづく。
昇五分一釐三毫
「昇」の数値は、つぎの節気までに地中の「気」が上昇する距離である。〈九寸〉から〈五分一釐三毫〉を減じると大呂律の〈八寸三分七釐六毫〉となる(九進法によっている)。季節に対応した〈気〉の上昇の数値が律管の長さの漸減の数値に一致することを示している。ここに見える〈気〉の観念については「候気術に見える気の諸観念」(『人文科学研究』第八十二輯、新潟大学人文学部、一九九二年)に考察がある。
陽気は〈復〉卦で生まれ、陰気は〈姤〉卦で生まれ
六十四卦の象にもとづく。「復」は、六爻のすべてが陰爻からなる「坤」卦の初爻が陽爻に変化した卦で、これを陽気の最初の発動とみなすのである。「姤」はこれとは逆に全陽の「乾」卦の初爻が陰爻に変化した卦である。
上昇の数値は……やや小さい
〈子〉から〈巳〉の六律のうち「律」(陽律)は黄鐘、太簇、姑洗で、この三律の「升陽の数」は五分ないし四分で、「升陽の数」の中で最も大きい。これを原著では「尤彊」という。「呂」(陰律)とは大呂、夾鐘、仲呂で、この三律の「升陽の数」は三分あまりで、「律」の「升陽の数」に比べて小さい。これが原著の「少弱」である。以上の〈子〉から〈巳〉の六律(三律三呂)の「升陽の数」は、〈午〉から〈亥〉のそれより総じて大きい。これが原著の「差彊」である。以上は『鐘律通考』(倪復)の解釈である。ところで、原著には「節気」と十二律名のみが記載されており、十二支名の記載はない。通説では、〈子・黄鐘〉を起点に音高の順に十二支が配当され、最高音の応鐘が〈亥〉となる。『鐘律通考』もこれを前提としている。ただ、原著「十二律之実」(第四章)では、これと異なり、三分損益による音律生成の順序にもとづいて十二律が十二支に配当されていた。かりに本章もその原則によっているとすると、対応関係は〈子・冬至・黄鐘〉、〈丑・大暑・林鐘〉、〈寅・雨水・太簇〉、〈卯・秋分・南呂〉……〈戌・霜降・無射〉〈亥・小満・仲呂〉となる。「按語」の「〈子〉から〈巳〉まで」が黄鐘・大呂・太簇・夾鐘・姑洗・仲呂をいうのか、それとも黄鐘・林鐘・太簇・南呂・姑洗・応鐘をいうのか、判然としないのである。これは「気」の運動様態に関する蔡元定の解釈にも関係するため、おざなりにはできない問題であるが、さしあたり『鐘律通考』に従って、本章では音高の順に十二支と節気・十二律が配当されており「黄鐘之実」章とは配当の原理が異なると解釈しておく。
〈午〉から〈亥〉までは……やや大きい
〈午〉から〈亥〉の六律のうち「律」(陽律)は蕤賓、夷則、無射で、この三律の「升陽の数」は二分あまりで、最も小さい。これを原著では「尤弱」という。「呂」(陰律)とは林鐘、南呂で、この二律の「升陽の数」は三分あまりで、「律」の「升陽の数」に比べてやや大きい。これを原著で「差彊」という。以上の五律(三律二呂)の「升陽の数」は、〈子〉から〈巳〉の六律のそれより総じて小さい。これが原著の「漸弱」である。これも『鐘律通考』(倪復)の解釈である。
〈中〉と〈和〉の作用を極限にまで推し進めて
「致中和之用」の句は、『中庸』の「致中和、天地位焉、萬物育焉」を踏まえている。
完全な善に至る
「止於至善」の句は、『大學』の「大學之道、在明明徳、在親民、在止於至善」を踏まえている。
「中節」である
「喜怒哀樂未發與發而中節也」の句は、『中庸』の「喜怒哀樂之未發、謂之中、發而皆中節、謂之和(感情が動かずに平静な状態を〈中〉と称し、感情が発現して節度にかなっている状態を〈和〉と称す)」を踏まえているようだが、文脈がやや異なる。
造化育成を賛助する
「此聖人所以一天人贊化育之道也」の句は、『中庸』の「唯天下至誠爲能盡其性(中略)可以贊天地之化育(天下の至誠なる者だけが本性を発揮し尽くすことができ……天地の造化育成を助けることができる)」を踏まえている。