性理大全書卷之二十二

律呂新書一 律呂本原

六十調図第九
(【原注】周礼、淮南子、礼記の鄭氏註・孔氏正義によって定めた)


変徴変宮
黄鐘宮黄鐘正正太簇正正姑洗正正蕤賓正正林鐘正正南呂正正応鐘正正
無射商無射正正黄鐘変太簇変姑洗変仲呂正林鐘変南呂変
夷則角夷則正正無射正正黄鐘変太簇変夾鐘正仲呂正林鐘変
仲呂徴仲呂正正林鐘変南呂変応鐘変黄鐘変太簇変姑洗変
夾鐘羽夾鐘正正仲呂正正林鐘変南呂変無射正正黄鐘変太簇変
大呂宮大呂正正夾鐘正正仲呂正正林鐘変夷則正正無射正正黄鐘変
応鐘商応鐘正正大呂正夾鐘正仲呂正蕤賓正夷則正無射正
南呂角南呂正正応鐘正正大呂正夾鐘正姑洗正蕤賓正夷則正
蕤賓徴蕤賓正正夷則正正無射正正黄鐘変大呂正夾鐘正仲呂正
姑洗羽姑洗正正蕤賓正正夷則正正無射正正応鐘正正大呂正夾鐘正
太簇宮太簇正正姑洗正正蕤賓正正夷則正正南呂正正応鐘正正大呂正
黄鐘商黄鐘正正太簇正正姑洗正正蕤賓正正林鐘正正南呂正正応鐘正正
無射角無射正正黄鐘変太簇変姑洗変仲呂正林鐘変南呂変
林鐘徴林鐘正正南呂正正応鐘正正大呂正太簇正姑洗正蕤賓正
仲呂羽仲呂正正林鐘変南呂変応鐘変黄鐘変太簇変姑洗変
夾鐘宮夾鐘正正仲呂正正林鐘変南呂変無射正正黄鐘変太簇変
大呂商大呂正正夾鐘正正仲呂正正林鐘変夷則正正無射正正黄鐘変
応鐘角応鐘正正大呂正夾鐘正仲呂正蕤賓正夷則正無射正
夷則徴夷則正正無射正正黄鐘変太簇変夾鐘正仲呂正林鐘変
蕤賓羽蕤賓正正夷則正正無射正正黄鐘変大呂正夾鐘正仲呂正
姑洗宮姑洗正正蕤賓正正夷則正正無射正正応鐘正正大呂正夾鐘正
太簇商太簇正正姑洗正正蕤賓正正夷則正正南呂正正応鐘正正大呂正
黄鐘角黄鐘正正太簇正正姑洗正正蕤賓正正林鐘正正南呂正正応鐘正正
南呂徴南呂正正応鐘正正大呂正夾鐘正姑洗正蕤賓正夷則正
林鐘羽林鐘正正南呂正正応鐘正正大呂正太簇正姑洗正蕤賓正
仲呂宮仲呂正正林鐘変南呂変応鐘変黄鐘変太簇変姑洗変
夾鐘商夾鐘正正仲呂正正林鐘変南呂変無射正正黄鐘変太簇変
大呂角大呂正正夾鐘正正仲呂正正林鐘変夷則正正無射正正黄鐘変
無射徴無射正正黄鐘変太簇変姑洗変仲呂正林鐘変南呂変
夷則羽夷則正正無射正正黄鐘変太簇変夾鐘正仲呂正林鐘変
蕤賓宮蕤賓正正夷則正正無射正正黄鐘変大呂正夾鐘正仲呂正
姑洗商姑洗正正蕤賓正正夷則正正無射正正応鐘正正大呂正夾鐘正
太簇角太簇正正姑洗正正蕤賓正正夷則正正南呂正正応鐘正正大呂正
応鐘徴応鐘正正大呂正夾鐘正仲呂正蕤賓正夷則正無射正
南呂羽南呂正正応鐘正正大呂正夾鐘正姑洗正蕤賓正夷則正
林鐘宮林鐘正正南呂正正応鐘正正大呂正太簇正姑洗正蕤賓正
仲呂商仲呂正正林鐘変南呂変応鐘変黄鐘変太簇変姑洗変
夾鐘角夾鐘正正仲呂正正林鐘変南呂変無射正正黄鐘変太簇変
黄鐘徴黄鐘正正太簇正正姑洗正正蕤賓正正林鐘正正南呂正正応鐘正正
無射羽無射正正黄鐘変太簇変姑洗変仲呂正林鐘変南呂変
夷則宮夷則正正無射正正黄鐘変太簇変夾鐘正仲呂正林鐘変
蕤賓商蕤賓正正夷則正正無射正正黄鐘変大呂正夾鐘正仲呂正
姑洗角姑洗正正蕤賓正正夷則正正無射正正応鐘正正大呂正夾鐘正
大呂徴大呂正正夾鐘正正仲呂正正林鐘変夷則正正無射正正黄鐘変
応鐘羽応鐘正正大呂正夾鐘正仲呂正蕤賓正夷則正無射正
南呂宮南呂正正応鐘正正大呂正夾鐘正姑洗正蕤賓正夷則正
林鐘商林鐘正正南呂正正応鐘正正大呂正太簇正姑洗正蕤賓正
仲呂角仲呂正正林鐘変南呂変応鐘変黄鐘変太簇変姑洗変
太簇徴太簇正正姑洗正正蕤賓正正夷則正正南呂正正応鐘正正大呂正
黄鐘羽黄鐘正正太簇正正姑洗正正蕤賓正正林鐘正正南呂正正応鐘正正
無射宮無射正正黄鐘変太簇変姑洗変仲呂正林鐘変南呂変
夷則商夷則正正無射正正黄鐘変太簇変夾鐘正仲呂正林鐘変
蕤賓角蕤賓正正夷則正正無射正正黄鐘変大呂正夾鐘正仲呂正
夾鐘徴夾鐘正正仲呂正正林鐘変南呂変無射正正黄鐘変太簇変
大呂羽大呂正正夾鐘正正仲呂正正林鐘変夷則正正無射正正黄鐘変
応鐘宮応鐘正正大呂正夾鐘正仲呂正蕤賓正夷則正無射正
南呂商南呂正正応鐘正正大呂正夾鐘正姑洗正蕤賓正夷則正
林鐘角林鐘正正南呂正正応鐘正正大呂正太簇正姑洗正蕤賓正
姑洗徴姑洗正正蕤賓正正夷則正正無射正正応鐘正正大呂正夾鐘正
太簇羽太簇正正姑洗正正蕤賓正正夷則正正南呂正正応鐘正正大呂正

按ずるに、十二律がつぎつぎに宮となり(*)、それぞれに七声があるので、のべ八十四声であった(*)。宮声十二、商声十二、角声十二、徴声十二、羽声十二で合計六十声となり、これらが六十調を構成する(*)。〔八十四声には〕変宮声が十二あり、羽声の後、宮声の前にある(*)。変徴声の十二は、角声の後、徴声の前にある。しかし「宮」であっても「変宮調」とはならず、「徴」であっても「変徴調」にはならない。これら合計二十四の〈変声〉は調を形成しないのである。

〈黄鐘宮調〉から〈夾鐘羽調〉は、すべて黄鐘律で調を始め、黄鐘律で曲が終わる(*)。〈大呂宮調〉から〈姑洗羽調〉は、すべて大呂律で調を始め、大呂律で曲が終わる。〈太簇宮調〉から〈仲呂羽調〉は、すべて太簇律で調を始め、太簇律で曲が終わる。〈夾鐘宮調〉から〈蕤賓羽調〉は、すべて夾鐘律で調を始め、夾鐘律で曲が終わる。〈姑洗宮調〉から〈林鐘羽調〉は、すべて姑洗律で調を始め、姑洗律で曲が終わる。〈仲呂宮調〉から〈夷則羽調〉は、すべて仲呂律で調を始め、仲呂律で曲が終わる。〈蕤賓宮調〉から〈南呂羽調〉は、すべて蕤賓律で調を始め、蕤賓律で曲が終わる。〈林鐘宮調〉から〈無射羽調〉は、すべて林鐘律で調を始め、林鐘律で曲が終わる。〈夷則宮調〉から〈応鐘羽調〉は、すべて夷則律で調を始め、夷則律で曲が終わる。〈南呂宮調〉から〈黄鐘羽調〉は、すべて南呂律で調を始め、南呂律で曲が終わる。〈無射宮調〉から〈大呂羽調〉は、すべて無射律で調を始め、無射律で曲が終わる。〈応鐘宮調〉から〈太簇羽調〉は、すべて応鐘律で調を始め、応鐘律で曲が終わる。

以上が六十調である。六十調とはつまり十二律であり、十二律とはつまり一黄鐘である。黄鐘が十二律を生み出し、十二律が五声と二変を生み出し、五声はそれぞれが綱紀となって六十調を構成する。六十調はすべて黄鐘律の損益による変化なのである。宮調、商調、角調の合計三十六調は老陽であり、徴調と羽調の合計二十四調は老陰である。六十の調が完成して陰と陽が完備するのだ。

こういう疑問があろう。日辰の数は天数の〈五〉と地数の〈六〉が入り混じって生じるが、律呂の数は〈黄鐘律九寸〉が損益されて生じ、両者の原理は異なる。しかし完成された数を考えると、日に六甲があり辰に五子があり(*)六十日となる。律呂には〈六律〉と〈五声〉があり六十調となる。まるで割り符が一致するようであるのはなぜだろう。それはつまり、先に述べた「調成りて陰陽備わる」ということである。そもそも〈理〉には必ず「対待」がある(*)。「数の自然」ということである。「天五地六」により陰と陽を合わせて述べるなら「六甲五子」の変化で六十日となる。うち三十六が陽であり、二十四が陰である。黄鐘律九寸により陽だけを論じて陰に触れずに述べるなら「六律五声」の変化で六十調となる。これもやはり三十六が陽で、二十四が陰である。実は陽の中にも陰と陽があるということだ。天地の化育の働きを理解する者でなければ、これに参与することはできない。

原文

注釈(訳者)

(表の読み方)
各調において用いる律(十二正律・六変律)を一覧する表である。原著に記載はないが、「八十四声図」と同じく朱書(陰文)と墨書(陽文)が使われている。原著では、音律名はすべて冒頭一文字で示されている(黄鐘→「黄」、大呂→「大」、太簇→「太」など)。そのため諸本には「大呂」と「太簇」の混乱などが見られる。訳文では本来の二字名称に改め、「正律」については「正」字を添えた。また原著では、律名の下に小字で正声(全律)と半声(半律)の別が示されている。正声は墨書で「正」、半声は朱書で「」とあるのがそれである。以上をまとめると、十二正律については「(某律)正正」「(某律)正半」の二種がある。
六変律(黄鐘変、太簇変、姑洗変、林鐘変、応鐘変)は、原著では律名の冒頭一字(黄鐘変律→「黄」、太簇変律→「太」、姑洗変律→「姑」など)が朱書され、正声(全律)の場合はその下に「」字が大字で朱書され、半声(半律)の場合は「變半」が小字双行で墨書されている。訳文では本来の律名に「変」字を加えて三文字としてこれを朱書し、その下に「正」「半」を墨書で附記することで「正声」「半声」を区別した。
結局、表中には「正正」(正律・正声)、「正」(正律・半声)、「正」(変律・正声)、「半」(変律・半声)の四種があることになる。
十二律がつぎつぎに宮となり
『禮記』(禮運)の「五聲六律十二管還相爲宮也」による。この一節は、音楽理論において、十二律のすべてが宮となって音階の主音となり調を形成することの論拠としてしばしば用いられる。
のべ八十四声であった
前章の「八十四聲図」を踏まえた記述である。
西洋古典音楽においては、十二律上で〈ド〉を主音とする音階(長調)と〈ラ〉を主音とする音階(短調)の二種が使われたため、合計は二十四調であった(たとえばバッハのいわゆる「平均律クラヴィーア曲集」を参照)。蔡元定の調理論では、十二律上で五声(宮・商・角・徴・羽)のすべてが主音となって音階を形成するので、合計六十調となるのである。
羽声の次、宮声の前
原文は「在羽聲之後、宮聲之前」。生成の次序に紛らわしいが、ここの「前後」は音階上の高低である。「後」は、より高いこと、「前」は、より低いことである。したがってここの「宮聲」は、〈正声の宮〉ではなく〈半声の宮〉である。ここに続く「変徴」に関する記述もこれにならう。
〈黄鐘宮調〉から……黄鐘律で曲が終わる
〈黄鐘宮調〉とは、黄鐘が宮、太簇が商、姑洗が角、蕤賓が変徴、林鐘が徴、南呂が羽、応鐘が変徴の七声音階で、宮声を主音とする調である。続く〈無射商調〉は、無射律を宮とする七声音階であるから、商声は黄鐘である。〈商調〉とは商声すなわち黄鐘律を主音とする調である。なお、この場合の「黄鐘律」は〈正律黄鐘〉ではなく〈変律黄鐘〉である。「変律第五」章に、「蕤賓・大呂・夷則・夾鐘・無射・仲呂の六律が宮となる場合は、音階の中で黄鐘・林鐘・太簇・南呂・姑洗・応鐘の律を用いると、それらの律はやや低く、調和しない。そのために〈変律〉がある」(至蕤賓、大呂、夷則、夾鐘、無射、仲呂六律、則取黄鐘、林鐘、太簇、南呂、姑洗、應鐘六律之聲、少下不和、故有變律)とあった。ここがそれに該当する。商のほか角、変徴、羽、変宮も〈変律〉である。表中で律名を「朱書」(陰文)にすることによってそれが〈変律〉であることを明示すること、前章の「八十四聲図第八」と同じである。さらに、〈無射商調〉では、宮の無射律を除いて他の六声はすべて〈半声〉でなければならない。これもまた「半」の字を附すことによって示している。
日に六甲があり、辰に五子があり
『漢書』(律暦志上)に同文「日有六甲辰有五子」がある。「六甲」とは六十干支のうち「甲」と合うもの、すなわち甲子、甲寅、甲辰、甲午、甲申、甲戌である。同様に「五子」とは干支のうち「子」と合うもの、すなわち甲子、丙子、戊子、庚子、壬子である。
理には必ず「対待」がある
『程氏易傳』(巻二)に「質必有文、自然之理、理必有對待、生生之本也」とあり、以後の諸書によく引かれる。『朱子語類』(巻六)に蔡元定の言葉として「理有流行、有對待、先有流行、後有對待」が見える。