性理大全書卷之二十二

律呂新書一 律呂本原

黄鐘の実第二
(淮南子、漢書律暦志によって定める。寸分釐毫糸の法は史記の「生鐘分」によって定める)

子一黄鐘の律
丑三糸法
寅九寸数
卯二十七毫法
辰八十一分数
巳二百四十三釐法
午七百二十九釐数
未二千百八十七分法
申六千五百六十一毫数
酉一万九千六百八十三寸法
戌五万九千四十九糸数
亥十七万七千百四十七黄鐘の実

按ずるに、黄鐘の長さ九寸は、これを三分割して損益をおこない、他の律を作り出す。したがって〈三〉によって十二辰をめぐらせ〈十七万七千百四十七〉という数を得、これを〈黄鐘の実数〉と定めておく。十二辰それぞれにおいて得られる数の意味はつぎのとおりである。子・寅・辰・午・申・戌の六つの陽辰での数値は、黄鐘律管の長さを寸・分・釐・毫・糸の単位で示したものである。
(子の〈一〉という数値は黄鐘の律そのものを意味している。同様に、寅は〈九〉寸。辰は〈八十一〉分。午は〈七百二十九〉釐、申は〈六千五百六十一〉毫、戌は〈五万九千四十九〉糸である。)
亥・酉・未・巳・卯・丑の六つの陰辰での数値は、黄鐘律管を寸・分・釐・毫・糸で表示する場合の〈法数〉(分母、除数)である。
(亥の「十七万七千百四十七」は〈黄鐘の実数〉である。酉の「一萬九千六百八十三」は〔これで黄鐘の実数を割れば〈九〉が得られるので〕〈寸法〉である。未の「二千一百八十七」は〔これで黄鐘の実を割れば〈八十一〉が得られるので〕〈分法〉である。巳の「二百四十三」は〔これで黄鐘の実を割れば〈七百二十九〉が得られるので〕〈釐法〉である。卯の「二十七」は〔これで黄鐘の実を割れば〈六千五百六十一〉が得られるので〕〈毫法〉である。丑の「三」は〔これで黄鐘の実を割れば〈五万九千四十九〉が得られるので〕〈糸法〉である。)
このように、寸・分・釐・毫・糸の「進法」はすべて九進法である。したがって九糸が一毫、九毫が一分、九分が一寸、九寸が黄鐘である。黄鐘の実数である一十七万七千百四十七という数は、三で割って糸の単位にすると五万九千四十九(糸)であり、二十七で割って毫の単位にすると六千五百六十一(毫)であり、二百四十三で割って釐の単位にすると七百二十九(釐)であり、二千百八十七で割って分の単位にすると八十一(分)であり、一万九千六百八十三で割って寸の単位にすると九(寸)である。これらの数値によって三分損益をおこない、黄鐘以外の十一律を算出するのである。
ところで、つぎのような疑問があろう。〔第一章「黄鐘」では〕管の直径や円周の長さは十進法によっていたが、〔ここ第二章の〕「相生」のために用いる分・釐・毫・糸の数値は九進法にるのはなぜか、と。
それはこういうことである。十進法は「宇宙の全数」によっているのである。いっぽう九進法は三分損益の運用のために設けた方法なのである。「宇宙の全数」の場合は〈十〉を基準にして、そのうちの〈九〉を取るのである。「相生」の場合は十を九に分割するのである。〈十〉を基準にしてそこから〈九〉を取るのは「体」を確立する手だてである。〈十〉を〈九〉に分割するのは「用」を運用する手だてである。つまり「体」によって「中声(音響の総体である黄鐘)」が定まり、「用」によって〔中声から〕他の十一律が生み出されるのである。

原文

注釈(訳者)