新潟大学人文学部

巴金『家』と曹禺『家』の比較研究

大野 道子(新潟大学人文学部)

『家』は、巴金の生家をモデルとした長編小説であり代表作で、大家族制度を封建制度の具体的な存在として告発したこの作品は、当時の青年に大きな影響を与えることとなった。その『家』を劇に改編したのが、劇作家曹禺である。本論文では両者がそれぞれ描き出す『家』について多方面から比較し、両者の視点や作品に託した思いなどを見ていくと同時に、曹禺が巴金の『家』をどのように脚色したのか明らかにした。第一章では『家』の概要について触れ、第二章では人物描写の比較を行い、第三章では巴金、曹禺のそれぞれの視点について見ていった。巴金は不合理な封建制度に反抗する勇敢な青年―覚慧を通して若い世代に反抗を呼びかけると同時に、可憐で有望な若者たちの悲劇を描くことで彼らの自由を束縛するような古い体制や思想を強く批判した。一方、曹禺の『家』全体を通して目に付くのが、女性たちの描写である。事実、彼は巴金の中で描かれていた女性たちの悲劇を自らの劇の中でさらに大きく取り上げ、結びの場面で瑞珏が生む赤ん坊の性別も女と書き換えた(原作では男)。彼が女性描写を得意とする劇作家で、特に封建的な家庭や社会の隅に追いやられ侮辱されてきた女性たちに同情していたという事実に照らし合わせて考えてみると、彼は瑞珏を中心とする女性たちの視点から劇を書くことで家父長制度による女性への問題を提示し、そのような風潮を持つ社会への批判を行ったのだと理解できるのである。今回、巴金『家』と曹禺『家』を比較考察して明らかになったのは、巴金の小説を曹禺が表面的には忠実に、しかし結果的には全く違う作品―劇として『家』を創作したということである。内容豊富な巴金の『家』を劇に改編するにあたり、曹禺は多くの人物や場面の削除を行い、ある部分に限ってはさらに発展させて新しい場面を加えたりもした。また、第一幕の結婚式の場面を見てもわかるように、巴金の『家』で詳しく描かれなかった場面については、独自の解釈を持ってそれを具体的に再現することに成功したのである。それでは、なぜ曹禺はこのように『家』を全く違う作品として作り上げたのだろうか。おそらく、友人である巴金との関係や脚色する以前に吴天の脚本を読んでいた事実からも、彼は原作や吴天の脚本を非常に意識していたと考えられる。そのために、あえて原作の表現などを直接自身の『家』に取り込むことを避け、巴金の意図を上手くくみつつも、自らの考えや解釈などをいかし、結果として非常に独創性に富んだ作品としたのであろう。


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