新潟大学人文学部

高麗時代の賤隷出身者の政界進出について
―武臣政権以降を中心に―

西田 仁美(新潟大学人文学部)

主に『高麗史』を見ていき、高麗時代の宮中の勢力に注目し、前期の内侍と内僚から後期に登場する賤隷出身者の政界進出についてその実像に迫っていく。

第1章で高麗時代の内侍と内僚について改めて史料を取り上げ、本来内侍・内僚がどのようなものであったかを考察していき、第2章で賤隷出身者による政界進出の事例を調べ、その進出の契機や国王との関係、そして賤隷出身者への批判の事例を読み、賤隷出身者が当時の人々にどのように認識されていたのかを考察し、賤隷出身者の政界進出の背景を検討している。

高麗時代前期において、宮中の侍従と王命の出納を掌る内侍は本来世籍に欠点のない優れた者が選ばれ、さらに任期を終えた優秀な者は地方官や品官に任命されることがあったため、人々の間では栄職であると考えられていた。

しかし、武臣政権以降は武臣が内侍を兼任するようになり、高麗時代後期には軍役を避けようとした者が争って入属しようとして、さらには宦官が国王の寵愛によって内侍に任命されるなど、質の低下が見られた。

そして、高麗後期には内侍同様宮中の侍従と王命の出納を掌っていた内僚の存在が目立って大きくなってくる。内僚は内竪・賤隷身分によって構成されており、口伝で王命の出納にあたるという点でも内侍とは異なる存在であった。本来南班七品に限られていた内僚職だったが、元宗代から国王や実力者への奉仕・功労によって出使を許される者が出てくるようになり、忠烈王代にはその数は増加し、豊官高爵を授かる者もいた。

賤隷出身者による政界進出は、モンゴル服属期に入ってから増加していったといえる。それは、瀋王問題・立省問題や国王父子の対立によって、高麗国王の立場が常に不安定なものであったためである。国王は側近が絶対の忠誠心を持っていることを重要視して、賤隷出身者も寵愛を受けるために忠誠を誓い、国王のために必死で功を立てようとした。相互の利害関係が一致し、深い信頼関係が結ばれたことで賤隷出身者は出世をすることが可能になり、国王は自身の立場の安定を図ることができた。

賤隷出身者に対する人々の差別や批判もあったが、それらは国王の権力のもと黙殺され、大した意味をなさないものになっていた。

賤隷出身者の政界進出は、高麗時代後期のモンゴル服属という背景が国王と忠臣の間の関係をより密接なものにしたために頻繁に起こりえたものだったといえる。


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