新潟大学人文学部

パンソリ名唱 金昌煥研究
―金昌煥のソリと放送活動について―

清水 果奈子(新潟大学人文学部)

パンソリは、現在朝鮮半島に伝わっている朝鮮民族の代表的な語り物芸能である。金昌煥(1855〜1937)は、全羅南道羅州の出身で、19世紀後半から20世紀始めまで活躍した西便制の代表的な名唱だ。円覚社(朝鮮最初の劇場)の主席となり、パンソリの代表作である「春香伝」・「沈清伝」を唱劇(パンソリをもとにした古典演劇)に再構成した。円覚社解散後は、地方を回りながら歌劇を興行した。金昌煥は高宗の寵愛を受け議官(中枢院の職位)の官職を賜った。また、「興甫歌」の中の<燕の路程記>は、彼のトヌム(得意な場面)である。

第1章では、金昌煥唱の<離別歌><燕の路程記><皐皐天邊><僧打令>について辞説、チャンダン、調を考察した。それぞれ考察した結果、金昌煥唱で一番特徴的なところは、悲しみをあらわす旋律の界面調で、代表的な旋律進行であるコンヌンモク(doからsiに半音下がる旋律)をあまり使わず、このコンヌンモクが2音に分離していることであった。

第2章は、金昌煥と他の唱者のソリを比較した。まず、第1節では、金昌煥のソリと東便制の宋萬甲、中古制の金昌龍のソリについて、各々がうたう<離別歌>で比較した。3人は異なる流派ではあるが、金昌煥のうたい方と他の二人のうたい方はどのように異なるのかを区別し、金昌煥のソリの特性を理解した。金昌煥・宋萬甲・金昌龍のそれぞれ同じ辞説部分をどのようにうたっているか比較した結果、金昌煥は、宋萬甲、金昌龍よりも高音を使用し、<離別歌>場面においては、使用音域が狭いことが分かった。そして、金昌煥の調に特徴的な界面調のコンヌンモクの分離は、同時期に活躍した宋萬甲、金昌龍には現れなかった。これは、金昌煥と他の二人の修行時期が異なることが原因ではないかと考えた。

次に、第2節では、金昌煥のトヌムである<燕の路程記>について、彼の直系の伝承者である呉守岩のソリと比較した。二人がうたう辞説を比較すると、互いの辞説に抜けている箇所があることが分かった。また、調については、金昌煥が全体を羽調でうたっているのに対し、呉守岩を含め弟子達は皆、界面調でうたっていた。この原因については、先行研究でも指摘されているように、聴衆の感性や嗜好の変化があったからと推測される。

そして、韓国精神文化研究院編『京城放送局国楽放送目録』を参照し、1930年以降の金昌煥の放送活動を調べなおした。筆者の再調査により、金昌煥のソリが放送された回数は全部で13回、「興甫歌」も放送されていたことが新たに分かった。しかし、他の唱者に比べると放送回数は少なく、追悼放送もされていなかった。筆者はこの理由を、金昌煥の健康悪化に加えて、先行研究で指摘されているように、19世紀の羽調を中心とした伸びやかな金昌煥のソリが、植民地下の聴衆の趣向にはそぐわなかったのだろうと考えた。


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